乳がん治療と乳房再建、そしてこの病気からどんなギフトを得るのか?自分の体験を通して、病気とは人にとって何なのかを観察記録していきます。


by holyqueen
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「さらす」、ということ。

黒沢美香、というダンサー/振付家がいる。

彼女のダンスを初めて見たのは何年前だったろうか。
友人の主宰する劇団の中で
彼女がゲスト出演して踊った。
大宮かどこかのストリップ小屋だった。

ストリップをテーマに
さまざまな小品で構成されたその舞台の中で
一際気高く美しく、
脱がなくとも
ストリップにはもともとこういう威厳があるものなのだ、
ということを感じさせてくれるダンスだった。

それからファンになり、
時々ではあるが見続けている。

昨年、「牛」という作品を見た。

白の、まるで下着のような
肌にぴったりした衣装を身に着けて
(それも、決して美しさを演出するためのものではなく)
動いたり、止まったり。


つま先で立ったり、くるくる回ることがダンスと思っている人には
何だろう?これは?という印象を与えるであろうと思う。

自分が、それまでに見たものよりも
重いムードを持った作品だった。
けれど、これは彼女の「今」を切り取り
編集したものなのだろうと感じた。

彼女はどの舞台でも「媚び」を売らない。
いわゆる「美しい」とされていることを
客に提供しない。
どこか壊れているようでもあり、
(きっとさんざんいろいろなものを壊してきたのだと思う)
けれども真摯だ。

そしてこの作品の中では
もっとナマな、ドキュメント+詩に近いようなものを感じた。

衣装に包まれた彼女の身体は、
ラインがあらわになっている。
ダンサー、という語感から想像されるものとは全く別の、
どこにでもいる中年の肉体のラインであり、
無駄のない筋肉で出来た「特権的肉体」ではない。

「あらわ」にすること。
そして、「さらす」ということ。

それを彼女は選んで見せていると感じた。


ブログを書くようになり、
ふと、自分はここで何をしているのか?
と思うことがある。

もちろんこれを読んでくれた人が
何らか感じたり考えたりする機会になれば嬉しい。
そう思って始めた部分もある。

けれど、
今の自分もどんどん「さらす」方向に進んでいる気がする。
昨年、右胸を切り取る前のダンスを踊ったとき
長年のダンス関係の友人からひとこと、
「さらす方向に行っているね」と言われた。

自分でもそう思う、と答えた。

そして今もその方向に進み続けている。
ブログのトップに置いた詩(ことば)の通り。

その姿勢は
ときにひとに嫌がられる。
自分でもモノゴトやコトバの虚飾ということに敏感になっているし、
オブラートにくるむ、という日本社会の礼儀を忘れることがある。
(もともとの傾向もあるけれど、
そんなものは必要ない、とまで思うことがふえた…
行き過ぎだという自覚も一応はある)

けれども、もともと自分がいたダンスの世界では
さまざまな考え方や感じ方が作品の個性につながるので
そんな姿勢もアタリマエであったりする。
自分としては原点回帰するのかな、という部分もある。

「さらす」ことと「さらされる」ことには
大きな差がある。

この病を告知され、
まずはちっぽけで弱い自分を
自分自身に「さらされた」ように思う。
徹底的に見せつけられた。
そしてそれを見ていこうと決意もした。

「さらす」というコトバには、不要な物質を捨て
純化していくことという意味がある。

今の自分はこのブログも含め、
「さらす」ことを選んでいる。
なぜ、この道を進んでいるかはわからない。

そして、改めて「病はギフトです」というあるDr.のコトバを思う。

アマアマに勘違いされるこのコトバ。

ギフトとは
暴風雨のシャワーを浴びて、
足許もおぼつかなくなり、
自分の身体のどこをよすがにしていいものかも
わからなくなり、
何かをさらされ、何かをさらし、
そのあげくに出てくる
純化された精油の一滴のようなものかもしれない。

アロマオイルを希釈して
マッサージやクラフトなどに使うように、
私もその精油を希釈して
人のために使える日がくるといいな、と思う。



☆☆☆☆☆☆☆

いつも読んでいただいてありがとうございます。
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by holyqueen | 2008-10-14 21:06 | カラダとスピリチュアリティ