乳がん治療と乳房再建、そしてこの病気からどんなギフトを得るのか?自分の体験を通して、病気とは人にとって何なのかを観察記録していきます。


by holyqueen
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カテゴリ:カラダとスピリチュアリティ( 27 )

ここからの続きです。

当日、自分のテーマは
自分の中にある罪悪感にしようかな、と決めて
ペアの相手に(今回は彼女がシッターとなる)話し、

横になり、ゆっくり呼吸をし、
体全体を意識する。

以下は自分の身体感覚、ビジュアライズされたイメージの体験です。
こうしようと思ってするものでもなく、
流れにまかせていて出てきたもの。

********

…足首に、何かが巻付いているような
いつもと違う感じ。

手のようなもの。
黒っぽいが嫌な感じではない。
誰かが、もう少し待て、と引き止めているような感じもする。
じっとそれを感じていると、
足の裏から強くエネルギーが出てきた感じ。
足の裏にスリットができ、
そこから噴き出している。
なんだか鉄腕アトムのようで、
これは「飛ぶ」ためのものかな、とふと思う。
足裏の下に、円く白いエネルギーボールができている。
足首に巻付いているものも、
ギリシャ時代のようなサンダルを履いていて、
その革ひものような感じに変わっている。

気づくと、手のひらの内側にもエネルギーボール。
誰かにこれを分かち合いたい気持ちになり、
シッターに正面から受けてもらう。
1回目、ベールをかぶせるような感じ。
2、3回目。手のひらの状態が変わり、
きらきらした星屑のようなエネルギーに変わる。
彼女はそれを見事に言い当ててくれる…!
そして「とてもいいエネルギーをもらった感じがする」と言ってくれる。
(以前よりエネルギーが強くなっているのを自分でも感じたけれど、
シッターさんが言い当てたのにもビックリ)

手のひらと足の裏から出ているエネルギーは、
胸の辺りでxのカタチにクロスしていて
それが手足それぞれから流れ出ていることを感じる。
そしてそれはぐんぐん外にまで伸びて行っている。
『ああ、私はとても自由なんだ!』と思う。
自分の中に何があろうと、
こだわらずにこのエネルギーを生きればいい、とふと思う。
すべてがそれでOKなのだ、と感じる。
(このクロスのカタチは以前、江ノ島で雲の写真を撮ったときにも
出てきたもの。以前のブログにアップしています)

しばらくすると
身体が軽くなってきて
浮いている感じがある。
目の前に雲が見える。
空に浮いているらしい。
しばらく雲と空を眺める。
穏やかな空。
どうなるのかな、と思っていると
宇宙が見える。
宇宙の中に浮かんでいるらしい。
藍色の空間の中にたくさんの星が見える。
とてもきれい…!

そして、はるか下方に地球があり、(本当に美しい星でした)
そこから3本のくっきりとした白い光が放射状に伸びていて
私の背骨の3カ所に入っているのが分かる。
(放射状であること、3本ということに何か意味があるように感じる)

ああ、私は地球からエネルギーをもらっているんだな…と思う。
すると大地のことが思い起こされ、
目の前にアフリカのような、赤い土の、地平線の見える土地が見える。
自分が大地のエネルギーになる。

そして声を出したくなり、声を出す。
何度も。いろいろな声を出してみる。
出す声により、身体に響く場所が変わる。
そしての響きそのものが身体への「癒し」であることをリアルに感じる。
(ワークをしていて声を出したくなったのは初めて)
シッターがどんなイメージで声を出しているの?と聞いてくる。
大地の声、と答えると
彼女が「アフリカみたい」と、またシンクロ。

それが終わると何も出てこない。
「無」になった、と感じる。
「無」の状態を味わう。
からっぽで、とても気持がいい。
そこにいるだけ、である。
シッターもそれを一緒に味わっていた。

しばらくそれを味わっていたら
なんだか手足が重くなってきて
「老衰かなにかでもう動けないおばあさん」のようだと感じる。

手足がだるい。重い。ぴくりとも動かせない。

シッターに頼んで、チョコレートを小さく割って食べさせてもらう。
どこももう動かないが、最低限、口に入れることができる。
チョコが口腔の温度で溶けて行き、食道を流れて行くのを感じる。
二つ食べる。それでもう欲しくなくなった。
途中に感じていた空腹感はもうない。呼吸も浅い。
(ふだんは誰よりも呼吸が深い自分です)

手足がだるいので、シッターにお願いして
身体のいろいろなところ、そして
手のひらなど、
好きにさすったり撫でたりしてもらう。
手つきはおぼつかない感じだが、
一生懸命してくれているのを身体で感じる。
(父も抗がん剤をかけていた時期は、
これのもっとひどい状態だったな、と思う。
身の置き所のないだるさ、苦しさ。
そして行くたびに私は身体をさすり、
それで父がやっとすやすや寝入ることも多かった。
夜、父は一人でいると眠れないことが
しばしばあったらしい。
おそらく死への恐怖が強かったのだと思う)

シッターに体位を変換してもらう。
横向きにしてもらい、そのままそれをじっと味わう。
何の感情も起こらず、その身体を味わう。
(高齢者が寝付いたりしていると無表情になっていることがあるが
実は自分の身体や近づきつつあることを感じているのでは、とこのとき思う)

自分で仰臥位に戻る。

「もうそろそろ死ぬので最期にお水を飲ませて下さい」とシッターに頼む。
少し動揺した気配が感じられる。
が、水をとりに行ってくれ、「どうしたらいいですか?」と言うので
「アタマと上半身を起こして下さい」と指示して、
紙コップの水を飲ませてもらう。2回。

そして
「もう死にます。最期のお別れをしてくれる?」
とお願いして死ぬ。

シッターは、私の身体に触れたりしていたが、腰の辺りに抱きつき
ずっと洟を啜っている。悲しみのエネルギーが伝わってくるが、
ああ、ちゃんとお別れをしてくれているんだ、と少し嬉しい気持になる。

そこで思わず声が出て笑ってしまう。
おそらく、え?と思ったであろうシッターに
「あのね、死んだらとても楽なの!」と伝える。

そして「柩に入れて下さい」と伝える。
手も組ませてくれ、足先もそろえてくれる。
あるべきカタチになった、という感覚がある。
「お花を入れて下さい」と頼む。
「白い薔薇、チューリップ。」などと言いながら、
彼女がお花をたくさん入れてくれる。
自分の周りをお花で飾ってもらうのは嬉しいものだなあ、と感じる。
(入れる側の時は悲しみに暮れているだけだけど、
入れてもらう側の体験が新鮮!)

柩のふたを閉じてもらい
そして焼かれる。
ふたの裏を走る火が見える。そこで途切れ、
また無になり、灰になっている。

ほどなくして、灰の中から、新しい自分が動き出す。
わずかに身体が動いて行く。
手の先や、足先が動いて行く。
全身に動きが広がり、
うつぶせにまるい姿勢になる。
背中がぶるぶるっと動き出す。肩甲骨の辺りがもぞもぞし、
腕が動いて行く。
翼のように。
そし背中が立ち上がり、翼が開かれて行く。
(あとからシッターさんが『とても大きな翼でしたね。きれいな動きでした』と言ってくれる)


以上でした…


終わって、シッターと話す。

彼女のご家族が亡くなったとき、
彼女はまだ自分のことで精一杯の年齢で、
ご家族のケアを充分にすることができなかった、
そしてそれを後悔していたので
今回それができたような感じがしたということと、
「死ぬと楽」という言葉を聞いて
とても気が楽になった、と涙ながらに伝えてくれた。

また、シッター役がうまくできるか不安だったので、
出かけるときに「後ろの人(ガイド)に一生懸命お祈りしてきました」
と言ってくれたのを聞き、
嬉しい気持になる。

途中から、自分のためだけでなく、
彼女も巻き込むワークになるな、という気がしていたが
象徴的な死がこんなふうに彼女の中とつながっていたのか、と思う。
そして私の感覚に非常にシンクロしていたのを感じていた。
とても感応力の強い女性だった。

帰る準備をしていたとき、
隣のチームの女性が
「これ、落としていませんか?」とカード2枚を手渡してくれる。
持参していたエンジェルカードだった。
しまうときにこぼれたらしい。

ありがとう、と受け取ると
「光」と「恩寵」のカードだった。

カードの解説:
「光」  あらゆる生命の本質は光です。暗闇を明るく輝かせる力はあなたの中に、
いつも、いつまでも。

「恩寵」  現実は恩寵です。感謝して受け入れ、嬉々として関われば
見事な計らいとなって現われ続けるでしょう。

…まさに今回の「ギフト」だったのだな、と思う。
そしておそらく、がんという病を得て、
それに取り組んできたことへの。


その4に続く。

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by holyqueen | 2008-11-27 19:43 | カラダとスピリチュアリティ
さて、ここからの続きです。

ワークの流れについては↑に書いたけれど、
これをやろうとするとなかなかむずかしい、
というひともいる。

というのは
多くの方が「思考」に傾いており、
「感情」や「感覚」に意識的に生きていないことが多いからである。

自分の感情くらい分かるよ、と思われるだろうが
人にもよるが、
感情(特に怒りと悲しみ)は実は抑圧されることが多い。
我慢強かったり、
責任感が強かったり、
人の評価を気にしていたり、
まじめと言われる場合はその傾向があるように思う。

ましてや「感覚」となると
本当に鈍くなっていることが多い。
常にハイパー・テンションである人や、
男性は(女性より)その傾向が強いように思う。

なので、こういうワークが
はじめてだったりするとこれがなかなかむずかしいわけです。

でもそれは当然で、
あるとき、自分のやっているワークショップに来た方が
「ふたが開いてしまいそうでこわい」と言ったことがあった。

「感じる」、ということは
自分自身の抑圧に気づく、ということにもつながるからだ。

けれど、気づくことからすべては始まる。

自分の中にあるものに気づき、
それを「赦す」、というのが
今回のワークショップのテーマだった。

ペアになり、
片方が今何が(誰が)赦せないか、ということを話し、
それを相手役が聞く。
相手役は相手の言うことに意見をしたり、
批判を加えたりしない。
ただ受け止める。
そして、ワークに入ってからは
相手に寄り添い、見守る役割になる。
それを1日目、2日目で交互に行う。

初日はペアになった方のワークで、
自分は見守り役となった。

最終的にはとてもいい結末で終わり、
お互いに信頼感ができた感じがあった。

が、一日集中して行うので
終わるとぐったり疲れる。

翌日は、自分のワークだったが、
「赦す」「手放す」というのは
一昨年、父ががんになってから、
そして自分も病を得てからの大きなテーマであり、
それをこの2年、ずっとやってきたので
もうほぼ終わったようにも感じていて
正直なところ、
どんなことをフックにすべきか
よく分からなかったが。
まあ出たとこ勝負にまかせよう、と決めた。

…その3に続く。

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by holyqueen | 2008-11-21 23:06 | カラダとスピリチュアリティ
先日、
とあるワークショップに参加してきました。

ワークショップというのは
元々は「体験学習」という意味。

私の経験してきた
演劇、ダンス、セラピーなどの分野では
とても一般的になっている。

参加したのは、
ボディサイコセラピーをベースとしたもの。

ちょいと説明するとです。

自分の仕事もそうなのだが、
カラダは自分の表の意識以上に
いろいろなことを既に分かっている。

たとえば、
ちょっと苦手な人に会うと
ココロでは
「この人は上司だから」とか
「角を立てたらいけないからうまくやろう」とか
いろいろな理由をつけて
その人との時間をやり過ごそうとしたり。
相手の機嫌を取ったりもする。
けれど、
その時間を終えてみると
ものすごく肩が凝っていたり、
疲れを感じたり、
という体験は誰にでもあるわけです。

それをやり過ごしたからといって
その人といる時間は苦痛であったり、
苦手であることは変わらない。

では「なぜ」その人がニガテなのかなあ、
と考えるとき、
とても有効な手段が
「からだに聞く」ということなのです。
(ものすごく簡略化していますが)

なくて七癖ということわざがあるが、
本当に人にはいろいろな反応があるもので、
それに自分自身気づいていない人も多い。

気づかずに
無意識的に出る
カラダの反応に意識を向けてみる。
たとえば、
誰かのことを思い出しただけで
胃がムカムカしてくるとか、
アタマが痛くなるとか、
反応している場所に
意識を向けてみる。

そしてどんな感じがするかを
感覚的に感じてみる。

アタマがかーっと熱くなって
溶岩が燃えさかっているように感じる場合もあるし、
胃の中に何か異物が入っているように感じるかもしれない。

そうしたら
そこにあるもの(溶岩やら、異物やら)と「対話」をしてみる。

つまり、
アタマで考えて答えを出そう、と努力してみることとは
正反対で、
カラダはこういう症状を訴えているから
ちゃんとそこに耳を傾けてみようよ、
アタマでコントロールしないでさ、
という手法なわけです。

…というのが、
先日受けたワークショップでの
ワーク内容の大まかな流れなのです。
(かなり大ざっぱですが)

自分もセラピストであるので、
こういうワークショップは
何度も体験してきたし、
自分ひとりで行うワークも
去年はかなりの頻度で行ってきた。
がんという病を得て、
日々大きく揺れ動いていたこともあったが、
この病を得たことで
学ぶべき何かが
沢山あるとどこかで感じていたのかもしれない。


今回は、
そのワークショップのお知らせをいただき、
ろくに内容も読まないうちに(笑)
すぐに申込んだ。

でも、こういう直感は
とても信用しているので
いつものようにでかけていきました。

…その2に続く。

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by holyqueen | 2008-11-20 23:43 | カラダとスピリチュアリティ

今日もプロセスを生きる

昨日は誕生日で、
思いがけずに多くの友人から
メッセージをいただき、ビックリ。
そして感謝です。

昨年の誕生日は
術後2週間ほどで、
ようやくゴスペル練習にも復帰した頃。
まだまだエキスパンダー入りの胸の違和感に慣れず、
腕の動きも悪く、
それでもなんとか日常に戻ろうと必死になっていたんだな、
と今は振返ることができる。

あれから1年。
苦しみと同時に歓びももたらされた日々であり、
同時に今まで生きてきた世界、
当たり前であった日常が
いかに当たり前でなかったことかに気づいた。

生きて行くことは
本当は「死」と常に隣り合わせなものである、と
「自分のこと」として感じる日々でもあり、
死を隠蔽したり
否認したりする世間の通念や、
「三人称」として一般化して語られること
(『みんないつかは死ぬんだよ』的な発言)にも
大きな違和感を感じたりしていた。
(自分が死ぬかもしれない、
という思いを抱かなければ
そんなことは分からないものだ、と今は思うけれど)


また、それは
自分が今まで日常の中で
アタリマエに引き受けてきた有形無形の
「役割」を降りてみる、ということにもつながった。
周囲の人を
大分困惑させましたが…

けれどもそのおかげで
捨てるものは意識せずとも捨て、
しがみついていたものからも
自然に手を放せた感じがある。

というより、
無駄に力を込めることを
もうやめてもいいんだな、
ということを
病から教わった。

シンプルになってみると
自分自身がスッキリする。

生きていくプロセスそのものが
如何に死ぬことか
につながる気がしているし、
それ以上に大事なことは
ないのではないか。

そして
本や映画や芸術など
自分が触れてみたいものだけに触れ
探求してみたいものだけにアクセスする
という日々を続けてきた。

仕事上、必要なことをすること、
そしてその反動で発散していた以外のことを
久しぶりに自由に味わいながら
静かにじわじわと身にしみ込ませていたような感じ。

裏主治医が
病には三つの意味があると言っていた。
曰く、
「警告」「卒業」「進化」とのこと。

自分の場合は
「進化の最中みたいですね」とのことだったが。
もちろん
自分ではそんなことはわからない。
真っ最中は、誰も自分のことなど分からない。

ただ、病を通して
それを忌むべきもの、
遠ざけるべき「敵」と思っていないのは今も確かで、
だからこそ得られるものも
あったと深く思っている。

今日を生きる。
その日一日を生きる。
何かカタチを成すことが
本当に生きている、ということでもないのだな、
と今は思う。

カタチではなく
行くべき道をいくだけであり
プロセスを歩むことが
結果として自分の求めるところなんだな、
という気がしている。

きっといろいろなところを旅するのだろう、
これからも。

友人が、
「昨年生まれ変わったから
今年は1歳だね」とmailをくれた。
老けた1歳ですが(笑)

そして、病の実り、
というものもあるのだろうと
感じている昨日今日です。


このブログももうすぐ1歳だ!





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by holyqueen | 2008-11-13 23:05 | カラダとスピリチュアリティ

新月だったので♪

昨日は新月。

新月はすべての終わりであり、
再出発を意味するという。

古いものを脱ぎ捨て、
新しいスタートを切るのによい日なのです。

そして昨日の新月は蠍座で起こった。
蠍座生まれの自分にとっては、
まさに再出発の時期の訪れなのだ。

というわけで、
昨日はウィッシュリストを作った!

先月は
副作用とストレスの相乗効果で、
身体も気持も大分トーンダウンしており
とても希望や夢を思い浮かべられる状態ではなかったけれど、
気力も体力も大分アップしてきた今、
書いてみたウィッシュリストを見て、
ちょっとワクワクしました。

書くということで
自分の「エゴ」ではなく
「セルフ」が何を望んでいるかが
とてもよくわかる。

そしてそういう自分の「セルフ」の声に
耳を傾けること、
自分の中心から出てくる感覚や直感を
「信頼」すること。
それがとてもとても大切なことだと
あらためて感じる。

身体感覚を育てると
直感と思い込みの差がはっきりと分かってくる。

自分にとっては
直感は真実であり、
敬意を払うべきものなのです。

今日、電話で
あるセッションを受けた後
目を閉じて
静かに
リラクセーションをしていたら、
今後の夢のひとつが
ありありと具体的にビジュアライズされてビックリ。

今の自分が未来を作る。
今の自分の思いが方向性を決める。

ミントを育てなければ
自家製のミントティーは飲めないように(笑)

乳がんになって
辛さや苦しみを味わった後に
感じられたことが沢山ある。
それを生かしたいな、と思う。

未来のために
地道な一歩一歩を
楽しみつつ
歩いていこう、と思えた。
時に休みながら、
時に道草を食いながら。


みなさまも
ぜひ新月のウィッシュリストをお試しあれ。
まだ間にあいます。思い立ったが吉日だ!
何より、書いてみると楽しいです。
作成の仕方はここのページが参考になりますよん。


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by holyqueen | 2008-10-30 13:42 | カラダとスピリチュアリティ
黒沢美香、というダンサー/振付家がいる。

彼女のダンスを初めて見たのは何年前だったろうか。
友人の主宰する劇団の中で
彼女がゲスト出演して踊った。
大宮かどこかのストリップ小屋だった。

ストリップをテーマに
さまざまな小品で構成されたその舞台の中で
一際気高く美しく、
脱がなくとも
ストリップにはもともとこういう威厳があるものなのだ、
ということを感じさせてくれるダンスだった。

それからファンになり、
時々ではあるが見続けている。

昨年、「牛」という作品を見た。

白の、まるで下着のような
肌にぴったりした衣装を身に着けて
(それも、決して美しさを演出するためのものではなく)
動いたり、止まったり。


つま先で立ったり、くるくる回ることがダンスと思っている人には
何だろう?これは?という印象を与えるであろうと思う。

自分が、それまでに見たものよりも
重いムードを持った作品だった。
けれど、これは彼女の「今」を切り取り
編集したものなのだろうと感じた。

彼女はどの舞台でも「媚び」を売らない。
いわゆる「美しい」とされていることを
客に提供しない。
どこか壊れているようでもあり、
(きっとさんざんいろいろなものを壊してきたのだと思う)
けれども真摯だ。

そしてこの作品の中では
もっとナマな、ドキュメント+詩に近いようなものを感じた。

衣装に包まれた彼女の身体は、
ラインがあらわになっている。
ダンサー、という語感から想像されるものとは全く別の、
どこにでもいる中年の肉体のラインであり、
無駄のない筋肉で出来た「特権的肉体」ではない。

「あらわ」にすること。
そして、「さらす」ということ。

それを彼女は選んで見せていると感じた。


ブログを書くようになり、
ふと、自分はここで何をしているのか?
と思うことがある。

もちろんこれを読んでくれた人が
何らか感じたり考えたりする機会になれば嬉しい。
そう思って始めた部分もある。

けれど、
今の自分もどんどん「さらす」方向に進んでいる気がする。
昨年、右胸を切り取る前のダンスを踊ったとき
長年のダンス関係の友人からひとこと、
「さらす方向に行っているね」と言われた。

自分でもそう思う、と答えた。

そして今もその方向に進み続けている。
ブログのトップに置いた詩(ことば)の通り。

その姿勢は
ときにひとに嫌がられる。
自分でもモノゴトやコトバの虚飾ということに敏感になっているし、
オブラートにくるむ、という日本社会の礼儀を忘れることがある。
(もともとの傾向もあるけれど、
そんなものは必要ない、とまで思うことがふえた…
行き過ぎだという自覚も一応はある)

けれども、もともと自分がいたダンスの世界では
さまざまな考え方や感じ方が作品の個性につながるので
そんな姿勢もアタリマエであったりする。
自分としては原点回帰するのかな、という部分もある。

「さらす」ことと「さらされる」ことには
大きな差がある。

この病を告知され、
まずはちっぽけで弱い自分を
自分自身に「さらされた」ように思う。
徹底的に見せつけられた。
そしてそれを見ていこうと決意もした。

「さらす」というコトバには、不要な物質を捨て
純化していくことという意味がある。

今の自分はこのブログも含め、
「さらす」ことを選んでいる。
なぜ、この道を進んでいるかはわからない。

そして、改めて「病はギフトです」というあるDr.のコトバを思う。

アマアマに勘違いされるこのコトバ。

ギフトとは
暴風雨のシャワーを浴びて、
足許もおぼつかなくなり、
自分の身体のどこをよすがにしていいものかも
わからなくなり、
何かをさらされ、何かをさらし、
そのあげくに出てくる
純化された精油の一滴のようなものかもしれない。

アロマオイルを希釈して
マッサージやクラフトなどに使うように、
私もその精油を希釈して
人のために使える日がくるといいな、と思う。



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by holyqueen | 2008-10-14 21:06 | カラダとスピリチュアリティ
友人に誘われて高野山カフェなるイベントに行ってみた。

c0154672_23174873.jpg


会場に入ると、お香のかおりが漂い
(うちで毎日焚いているものとは違う高級な香り…)
それだけでも気分が良くなる…!

真言密教の総本山、正式には
高野山真言宗総本山金剛峯寺等の主催で
首都圏の若い女性層をターゲットに開催されたそう。

入り口には既に行列ができている。
午後に2回行われる声明ライブの当日券待ちだった。
我々も、そのライブを目当てに行ったのだが
その人気ぶりにびっくり。
そこで知人にバッタリ会ったのにもビックリ。

以前から声明は大好きで、
天台、真言、またグレゴリオ聖歌とのコラボなど
お寺や劇場で時々見て来たが、
決して広くはないイベント会場で見るのは初めて。
幸い、入ることができた。

僧侶は6人と、今まで見た中では一番ミニマムな人数。
会場はダンススタジオだったので
残念ながら音の反響がない。
けれども1時間ほどのライブを聴いているうちに
だんだんその世界に引込まれていった。

c0154672_23225053.jpg


↑コレは阿字観本尊軸と言われるもの。


声明は独特の旋律を持っているが、
聴いているとその旋律の中で
自分が空っぽになっていくのが気持いい。
「聴く瞑想」、のような効果が自分にはあります。
声の振動が波となり、
胸のチャクラを通って、背中に抜けていく。
途中から、仏教の瞑想法の一つである
「軟酥の法」を思い出しつつやってみたり、
そのあとはなんとなく手を合わせたくなり、
そのままに聴いていた。
何かを祈るのではなく、その姿勢が気持よかったのだった。
1時間があっという間でした。

このところストレスまみれの生活だが(泣)
終わった後は肚も腰も気持も落ち着き
どっしりとした感じがあった。

何かで「一日の中で魂のための時間を持ちなさい」
と書いているのを読んだけれど、
まさにそんな時間だった。

何も考えない。
呼吸をしながら、
ただ、そのままでいること。
自分の身体とともにあること。
That's All、が気持いい。

そして、やはり「カラダを通した」体験は
一番実感を感じられ、心身の変化も分かる。


他にも写経や
阿字観という、
真言禅ともいわれる瞑想法のワークショップもありました。
残念ながら今回は出られなかったけれど、
次回は体験してみたい。
今年で2回目だったそうです。

c0154672_23232728.jpg


ミナサマも
ココロが空っぽになる
タマシイのための時間が持てますように。

ああ、本当の高野山に行きたいなあ…



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by holyqueen | 2008-09-07 23:53 | カラダとスピリチュアリティ

手放す、ということ。

TVで松本幸四郎が
「ラ・マンチャの男」についてのエピソードを語っていた。

海外公演でのこと。
台詞はすべて英語での舞台で、60ステージをこなす中、
ある日とても疲れ果てていて
「今日は最後までもたないかもしれない」と思ったという。
なんとかその日の舞台を終えて、
妻に「今日のはひどかっただろう?」と聞いたところ、
「今までで一番よかった」、と答えたという。
娘の松たか子も、その舞台を見て
自分自身、舞台で生きていきたいという気持を持ったとか…。

みなさんはこれをどう考えますか?

多分、松本幸四郎というひとは
とても努力家で、完璧なまでの演技を求めるのではないかと思う。
自分の意識を演技のすみずみまで巡らせて芝居を作ってきたと思う。

本人はそのときを振返って
演技に疲れているのではなく、
ラ・マンチャの男自身が疲れ果てているのだ、と考えるようして臨んだという。
「おそらくそこにはラ・マンチャの男の魂しかなかったと思います」
と語っていた。

完璧にやろう、とする努力はある意味大事な時期もある。
けれど、それを継続していくことは
知らず知らずのうちに大きな負担となるし、
無理なことを自分に強いる、ということになることもある。

ダンスや芝居の稽古でよく経験したけれど、
うまくいかずに何度も何度も稽古して
そのうちヤケクソになったりしながらも
稽古して、
疲れ果ててもう何も考えられないとき、
意識のコントロールが外れるときに
いい動きや演技ができることがある。

自分の意識だけですべてをコントロールしよう、
ということから自由になったとき。
それは自意識を手放すことができる瞬間なのだ。

昨日書いたことの続きになるけれど、
私のやりきった感は手放す、ということに近いのかな、
という気がする。

自分に対してエネルギーを与え、
がんが再発しないために生活を変え、
注意していくのはもちろんのことだけれど、
そのあとは
起こることを受け入れていくこと、
こうありたいというコントロールを手放す、
という感じに近いような気がする。

たぶん、それがソロダンスにも出ていたのだなと思う。

私自身も今までで一番ひどいパフォーマンスと思っていたが、
毎回見てくれていたスタッフからは、ダンスもそうだが
「全体を通していろんなものを手放して強みが出た」
とのお言葉をいただいた。

まさにそれが起こっている瞬間は
自分ですぐには気づかない。
見てくれているひとからの感想など聞いて、
後から分かるものなのですね。

やりきった感があったから手放せたのか、
あきらめることができて手放せたのか。

「あきらめ」とは努力を放棄することではなく
努力だけ、自分だけでは
どうにもならないことを受け入れることなのかもしれない。

ちなみに、
仏教で言う「諦観」とは
「すべてをあきらかにすること」だそうです。


☆☆☆☆☆☆☆

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by holyqueen | 2008-08-19 13:48 | カラダとスピリチュアリティ
8月初旬、毎年行っている合宿。
今年も、いつものように多くの方と
身体感覚や動きのさまざまなセッションをともにしてきた。

私の仕事の本質は
安全な中で参加者の皆さまが安心して
自分自身に向き合うことのできる場を提供することにある。

そして、この合宿は自分自身の「定点観測」の場でもある。
1年に1回なので、
昨年と今年では自分がどう変化しているかがよく分かるのだ。

昨年は告知後であり、
主治医から治療についての提案を受け、
8月中に考えておいてね、と宿題を出されていた時期。
まだまだ混乱も激しく、
とにかく目の前にあるこのイベントを
しっかりと安全に行う、ということが優先順位の一番でもあった。

今年はすべてのオペが終わり、
一段落していた時期。
ただ、回復に時間がかかり、
体力がどのくらい持つものか、それがやや心配でもあった。
準備も思ったようには進まなかった。

けれど、前にも書いたけれど、
「すべてを流れにまかせていこう」と行きの電車でふっと思えた。
着いて、自分のためにエンジェルカードを引く。
ここで売っています)

ドリーン・パーチューや中森じゅあんさんも同じタイトルのカードを出しているが、
私が使ったものはフィンドフォーンで開発されたもの。
以下、説明をちょっぴり引用。
ー72枚に示されたキーワードは物事の本質を表しています。
カードの意味や関連性を熟考するとき、
あなたの精神世界をより理解する手助けとなります。
 エンジェルカードは意識の探究を目的とし
フィンドフォーン・ファウンデーションにおいて開発されました。
内面世界の特定の状況に意識を集中しやすくするためのキーワードが
72枚のカードに書かれています。どの言葉を選んでも意味を深く考えるほど、
その言葉の特性が自分の生活に共鳴していることに気づくでしょう。
目的がはっきりしていればいるほど、
あるいは真剣に取り組めば取り組むほど
カードの選択はより強い意味をもつようになりますー

そして出たカードは「Authenticity」(確かなこと、信頼性、真正)だった。
ぴたりと来た。
私は流れにまかせていくことへの大いなる信頼、
根拠のない信頼感を持つということが今回のテーマだったのだ。
そしてそれは合宿の間中、とても確かな手応えであることを感じていた。
今までのように、
ささいなところにまで気を遣いすぎて迷うことがなくなっていた。
最後に即興ソロも踊ったが、
思わぬ展開になった。
スタッフからも「踊りが変わったね」と言われた。


合宿の終わりに引いたカードでは
「purpose」(目的、動機)が出た。
天使が岩山にピッケルを刺して、
登っている絵が描いてある…

むむ…
神様は次なる山に登れというのか…??
少しは休ませてくれよ…

とその時は思ったのだが。

先週末あたりに、
自分の中に
「やりきったな」という感じがあることに気づいた。
今回のがんに関しては、
自分自身がやるべきことはやりつくしたように感じるのだ。
ある意味、満足である。
もちろん、それは人それぞれで
比較して言っているものでもなんでもない。
ただ、自分の中の感覚だけのことだ。

今はまっしろな感じ。

そして、次に行くのだな。

再発の可能性はもちろんあるが、
そうなったとしてもそのときに考えればいいのだ、と思う。
今は不安がない。

死ぬ瞬間や
死へのプロセスを辿っていくことは
未知のことなので怖いかもしれないが、
死、そのものはあまり恐れなくなった。
身近なことにもなったから。


ところでこのエンジェルカード、
参加の皆様にも、いつも最初と最後に引いていただくのですが
おそろしいくらいぴったりのカードが出ます。
まさに天使からのメッセージそのもの。


☆☆☆☆☆☆☆

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by holyqueen | 2008-08-18 21:31 | カラダとスピリチュアリティ

山でおこもり

明日から
山にこもってきます。

修行?
まあ、自分にとっては似たようなものだが…

里山に囲まれた
とても気持のいいエネルギーの場で
踊ったり、歌ったり、
音楽を聴いたり、
五感を刺激するすべてのことを
取り入れながらの合宿を主催。

今年で10年目にもなる。

昨年は告知後で
アタマの中はすっかり混乱していたが
無事にお役目をこなすことができた。

一昨年から今年の6月までのヤマ場を乗り越えて
自分がどんな風に変わったかが
はっきりと分かるような気がする。

あの場所は、
自分のタマシイの進化を確かめられる
定点観測の地でもある。
そしていつも鍛えられる場でもある。

私たちが自分のチカラだけで生きているのではないこと、
大きなエネルギーに包まれていることを
優しく、時に厳しく教えてくれる場、なのです。

そこで今回は感謝の舞を捧げてきます。

ところで明日は
新月で日食!の日だそうです。

新月は新しきことのスタートで
願い事を書くにも適しているけれど、
そこに日食が重なるのは
すごいことだそう。

モノゴトの終わりと始まり、
節目、
新たなる挑戦やスタートなどの意味があるとか…

ミナサマもぜひ新月に願い事か祈りを!
自分の字で書き出すのが一番いいそう。

今、苦しい状況の方は
それどころではない、と思うかもしれない。
けれど、自分の中にあるほんの小さな光が
本当は大いなるものとつながっていたりするのだ。



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by holyqueen | 2008-07-31 20:17 | カラダとスピリチュアリティ