ちょっとした違和感についてのメモ。
2009年 02月 08日
がんの以後の変化について
どう書こうか、
その方法をつらつらと
何とはなしに考える毎日。
そしてふと気づいたこと。
がん以後は
「ちょっとした違和感」が
とてもふえた。
日常の中で、
誰かとの会話の中で。
それががん以後の変化、というものに
(ちょっと物々しいタイトルになってしまったけれど)
つながっていることに気づいた。
たいていの場合、
ちょっとした違和感は
その場では沈黙せざるを得ない、
据わりの悪い感じとして体験される。
そして日々の中では忘れてしまうようなささいなことでもあるし、
それを誰かに話したとしても
大方の場合(ほんとうにみごとなくらいに!)
誰にも通じないことだったりする。
話しても
「え?」と言われることや
「考え過ぎだよ」と
言われることに、
私は飽き飽きして
もう誰にも話すのをやめた。
でも、その感覚が大事なんだな。
そして、
シャバの空気にさらされてももう大丈夫、
と思える健康状態にはなって来たが、
この感覚を忘れてはいけない、
と自分の中の何かが訴えている。
いや、忘れることもない。
それはおそらくこれからもまだ続くし、
そしてそういう違和感に
コトバを与えていく試みを
続けていくだろう。
おさまりの悪い、
据わりの悪いことの中にこそ、
忘れてはいけないことが
たくさん、ある。
☆☆☆☆☆☆☆
いつも読んでいただいてありがとうございます。
がんのこと、がん治療のこと、
そしてあらゆる病気から得られるギフトについて
もっと多くの方に知ってほしい!ので
ぽちっと押して下さるとさいわいです♪
どう書こうか、
その方法をつらつらと
何とはなしに考える毎日。
そしてふと気づいたこと。
がん以後は
「ちょっとした違和感」が
とてもふえた。
日常の中で、
誰かとの会話の中で。
それががん以後の変化、というものに
(ちょっと物々しいタイトルになってしまったけれど)
つながっていることに気づいた。
たいていの場合、
ちょっとした違和感は
その場では沈黙せざるを得ない、
据わりの悪い感じとして体験される。
そして日々の中では忘れてしまうようなささいなことでもあるし、
それを誰かに話したとしても
大方の場合(ほんとうにみごとなくらいに!)
誰にも通じないことだったりする。
話しても
「え?」と言われることや
「考え過ぎだよ」と
言われることに、
私は飽き飽きして
もう誰にも話すのをやめた。
でも、その感覚が大事なんだな。
そして、
シャバの空気にさらされてももう大丈夫、
と思える健康状態にはなって来たが、
この感覚を忘れてはいけない、
と自分の中の何かが訴えている。
いや、忘れることもない。
それはおそらくこれからもまだ続くし、
そしてそういう違和感に
コトバを与えていく試みを
続けていくだろう。
おさまりの悪い、
据わりの悪いことの中にこそ、
忘れてはいけないことが
たくさん、ある。
☆☆☆☆☆☆☆
いつも読んでいただいてありがとうございます。
がんのこと、がん治療のこと、
そしてあらゆる病気から得られるギフトについて
もっと多くの方に知ってほしい!ので
ぽちっと押して下さるとさいわいです♪
by holyqueen
| 2009-02-08 16:44
| 日々の雑感。